
スマートフォンの充電に欠かせない「モバイルバッテリー」の出火事故が相次いでいる。公共交通機関での運航停止や航空機の全損など、被害は個人の持ち物の枠を超え、社会インフラを脅かす事態にまで発展した。背景には、小型・大容量化を追求するあまり高密度化するエネルギーと、利用者の安全意識の乖離がある。相次ぐリコールと低い回収率、そして日常に潜む「熱暴走」のメカニズムを追った。
車内に広がる白煙、悲鳴相次ぐ交通機関の混乱
「スマホを充電していたらバッテリーが急に熱くなり、30秒ほどで火を噴いた」。
2025年7月20日午後4時10分ごろ、JR山手線内回り(新大久保―新宿間)の走行中の車内で乗客の手荷物から突然発火した。車内は騒然となり、持ち主の女性がやけどを負ったほか、避難時の混乱で乗客4人が負傷。山手線は約1時間運転を見合わせ、約9万8千人の足に影響を与えた。
発火した製品は、ティ・アール・エイが販売していた「cheero Flat 10000mAh」。同社は過去に出火事故が複数報告されたことからリコールを実施していたが、その対象品が回収されないまま使用され、事故に至った格好だ。同社は原因について「特定の製造委託先で製造された個体に限定して発生している」と説明する。
同様のトラブルは新幹線や私鉄、さらには航空機にまで及ぶ。同年1月には韓国・金海国際空港でエアプサン機の手荷物棚から出火し、乗客乗員176人が緊急脱出、機体が全損する重大事故も発生した。国土交通省や鉄道各社は車内アナウンスで充電の自粛を呼びかけるなど警戒を強めている。
5年で1800件超 猛暑が押し上げる発火リスク
独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)の集計によると、20年から24年の5年間に報告されたリチウムイオン電池搭載製品の事故は1,860件に達し、その約85%が火災へ発展した。

特に目立つのが「夏場」と「モバイルバッテリー」の組み合わせだ。24年の事故件数は22年比で2倍以上に急増。NITEは「リチウムイオン電池が高温環境にさらされることで内部温度が上昇し、異常発熱や発火のリスクが高まる」と警鐘を鳴らす。直射日光下や真夏の車内に放置された場合、許容温度を容易に超え、内部崩壊の引き金が引かれることになる。
科学が示す「消せない火」の正体
なぜこれほど激しく燃え上がるのか。専門家が指摘するのは「熱暴走(サーマル・ランナウェイ)」と呼ばれる連鎖反応の恐ろしさだ。
リチウムイオン電池は、正極・負極・可燃性の電解液・セパレータ(絶縁膜)で構成される。大容量化に伴い、極めて薄いセパレータを挟んで高密度のエネルギーが封入されている。
落下などの衝撃や内部短絡(ショート)、過充電によって一度発熱が始まると、自らの熱がさらなる化学反応を呼び、温度が急上昇する。約130度を超えるとセパレータが溶融して大規模なショートを起こし、200度を超えると正極が熱分解して内部から「酸素」を放出する。
つまり、電池内部に「燃料(電解液)」「着火源(電気エネルギー)」「助燃物(自前で発生する酸素)」の三要素がすべて揃うため、外からの空気を遮断する窒息消火が効かない。これが、一度火がつくと消火器でも容易に消せず、鎮火したように見えても数時間後に再発火する構造的要因である。
届かぬリコール通知、進まぬ回収
事故防止に向けた最大の課題は「リコール品の回収率の低さ」だ。
大手周辺機器メーカーのアンカー・ジャパンでも25年に数十万台規模のリコールを実施したが、消費者庁のデータ等によると回収率は2割〜5割程度にとどまるケースが散見される。ネット通販やフリマアプリでの転売、購入者の連絡先把握の難しさが回収の壁となっている。
また、国内で販売するために必要な「丸型PSEマーク」を巡っても、形式的な表示にとどまり安全基準を満たさない粗悪品や偽装品が流通する懸念が払拭できていない。
迫られるユーザーの安全意識
生活必需品となったモバイルバッテリーだが、本質は「精密に制御された化学エネルギーの集合体」であることに変わりはない。
専門機関は利用者に対し、▷極端な安価品や出所不明な中古品を避ける、▷PSEマークとともに事業者名を確認する、▷真夏の車内放置や就寝中の布団上での充電を避ける、▷本体の膨張や異臭、異常発熱が見られた場合は即座に使用を中止する――といった基本的な自衛策の徹底を求めている。
さらに、廃棄時の分別不徹底によるごみ収集車や処理施設の火災も全国で多発しており、家電量販店等の回収ボックスや自治体窓口を利用した適切な処分が強く求められている。利便性の陰に潜むリスクを正しく認識できるかどうかが、今まさに問われている。

